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旭川家庭裁判所 昭和45年(少ハ)8号 決定

少年 G・Y(昭二五・一二・二九生)

主文

本人の中等少年院における収容を、昭和四六年八月二八日まで継続する。

理由

一  収容までの経過

本人は、当裁判所昭和四二年(少)第九二八号窃盗、私文書偽造、同行使、詐欺保護事件につき、同年六月二三日当裁判所において中等少年院送致の決定を受け、同月二九日帯広少年院に入院、昭和四三年八月一九日仮退院したが、当裁判所昭和四四年(少ハ)第九号戻し収容申請事件につき、同年八月二二日当裁判所において満二〇歳に達するまで中等少年院に戻し収容する旨の決定を受け、同月二五日帯広少年院に再度入院した。

二  本件申請の事由

本人は、仮退院後刹那的な遊びや享楽にふけり、特にシンナー、ボンドの吸引が常習化する程生活が乱れていたため、再入院するに至つたものであるが、再入院三か月目で農機科実習場でガソリンを、寮内でセメダインを吸引する等の紀律違反があり、また昭和四五年五月二六日にはシンナー等吸引の衝動にかられて逃走事故を惹起し、翌日逮捕されて復院したが、逃走中乗用車を盗んでこれを破損し、再三にわたりガソリンを吸引しており、この事故で謹慎二〇日に付され、三級の処遇段階に降下した。更に、同年一一月一八日同寮との喧嘩によつて謹慎三日に処されて現在に至つているが、再入院後一年三か月を経過しても、未だに一級下の段階である。

本人は、思慮浅く、思いつきや目先きの刺戟に惑わされて衝動的行為に走る傾向が強く、自己中心的な要求や欲求不満に対する耐性の乏しさ等が本人をして社会不適応に追いやる等の致命的欠陥として指摘されるが、本人の性格の矯正はなお未熟であり、収容可能な終期に達しても処遇の最高段階に達する見込みがなく、本人の性格上の負因による犯罪的傾向は末だ矯正されていないものと認められるので、保護教育を全うするためにも、九か月間の収容継続が必要である。

三  当裁判所の判断

まず、本件は犯罪者予防更正法第四三条の戻し収容決定により少年院に在院する者につき収容継続申請がなされた事案であつて、かかる者に対する収容継続の可否について積極、消極の両説があるが、当裁判所としては、少年院における矯正教育の目的を達成するために設けられた収容継続制度の趣旨に鑑み、戻し収容による在院者についても少年院法第一一条第二項ないし第四項が類推適用され、収容継続が可能でにあるとの立場を採る。

しかして、当庁家庭裁判所調査官本間良信の調査の結果(本人、帯広少年院法務教官駿河哲幸、同浜野富士雄、分類保護課長田中政義、本人の養母G・T子につき面接調査)並びに本件審判期日における本人、上記田中政義の陳述、本人にかかる少年調査記録の記載を総合すると、次のような事実を認めることができる。

(一)  本人は、昭和四三年八月一九日帯広少年院を仮退院後、極く短期間就労した外は、ダンスホールに出入したり、ボンド遊びをしたりして無為徒食の生活を続けていたもので、入院前より性格の偏りが大きくなり、意思欠如的、衝動型の行動傾向が続き、また人格的に未熟で依存性が強く、対人不信感から自閉的になり、刹那的な享楽にふけるという性格負因を有し、これを矯正する必要ありと認められて、戻し収容決定を受けるに至つた。

(二)  しかるに、本人は、再入院後考査、予科を経て昭和四四年九月二九日農機科に編入されたが、一一月二六日揮発物盗嗅の紀律違反のため謹慎一〇日、減点一五点の処分を受け、謹慎解除後農耕科に転科、昭和四五年二月一〇日二級上に、五月一一日一級下にそれぞれ進級したものの、同月二九日逃走事故を起して謹慎二〇日、三級降下の処分を受け、六月一八日以降は二級上になるまで昼夜間単独処遇とされ、七月一〇日二級下に、九月一〇日二級上にそれぞれ復級し、翌一一日単独処遇を解除されるに至り、同日復寮の上、洋裁洗濯科に転科、一一月一〇日一級下に復級した。

なお、同月一八日喧嘩の紀律違反によつて謹慎三日、減点六点に処されて、現在に至つている。

上記の紀律違反のうち、揮発物盗嗅の点は、農機科の実習時に、作業に使用する接着剤を吸嗅したものであり(なお、農耕科に転じてからもトラクターのガソリンを吸引する行為があつた。)、逃走の点は、屋外作業中突然シンナー等吸引の欲望にかられて惹起したもので、逃走後工事現場でガソリンを吸引しており、いずれも再入院前常習化していたボンド等吸引の性癖を断ち切れなかつたことを顕著に示している。

(三)  加えて、再入院後も意思薄弱、自己本位的で、集団生活に適応することが困難であり、生活にムラがあつて陰険さを示し沈滞した時期が続いていた。もつとも、最近に至たてようやく自重をし、矯正教育にもなじんで安定した生活を送るようになつて来たが、特に著しい効果が挙つているというわけではない。

(四)  本件申請が認容され、今後無事故で経過するとすれば、昭和四六年二月一〇日に一級上に進級し、三月にパロール申請、四月に委員面接があり、五月中に仮退院できる見込みである。本人は、退院後の方針として、無線の技術を習得するか自衛隊に入隊する希望を示しているが、後者については実現の見込みはなく、保護者の保護能力も十分とはいえないので、少年院において職業補導上の配慮を加える必要がある。

以上認定の事実によれば、本人は戻し収容決定において定められた満二〇歳になつても処遇の最高段階に達せず、犯罪的傾向は未だ矯正されるに至つていないので、直ちに退院させるのは不適当であると認められ、本人の今後の経過見込みや、仮退院後少なくとも三か月間の保護観察期間を設ける必要性等を考慮するときは、八か月間の収容継続をするのが相当である。

そこで、本人の中等少年院における収容を昭和四六年八月二八日まで継続することとし、少年院法第一一条第四項に則り、主文のとおり決定する。

(裁判官 青木敏行)

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